家族、親戚、祖先

ちょっと大げさなタイトルですが、先日、いつも子供たちの迎えで世話になっていることもあって、子供たちと実家の掃除をしてきました。そのときに、仏壇の埃を拭こうとして、拭く前にチンと鳴らして手をあわせていると、二等兵が「何してるの私も鳴らしたい」と。私の父は次男なので仏壇はなく、母が箪笥の上に簡単に写真をおいているだけのものなのですが、いつの間にかそこに飾られる写真が増えたこと。
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私の小さい頃は、父方の祖父母と母方の祖父だけだったのに、母方の祖母・叔父・伯母らが加わりました。もちろん、二等兵と面識のある人はいません。私にとっても、父方の祖父母は父が結婚前に亡くなっているので面識はなし。したがって、私が二等兵に話す祖父母の話はすでに父からの伝聞になります。一緒に生活したこともなく、僅かな時間さえ共有していない上に、父もこちらから聞かない限りはなすこともないので、その知識はまるでパズルのピースのようで、思い描いた全体像の中でどの部分に位置して、他のビースとどのよな関係にあるのかほとんど分かりません。明治16年に三男として栃木で生まれたこと、石切職人であったこと、養子に出たこと、鎌倉に引っ越したこと、賭け事が好きだったこと、・・・・癌で亡くなったこと。父はその祖父の次男として昭和4年に栃木で生まれ、小学校のときに母をなくし、鎌倉、静岡を経て、そして昭和26年に東京に出て一年間の修行をしてから、独立。兄と一緒に中華麺をつくる小さな工場を立ち上げたものの、一年もしないうちに隣家の火事で工場は焼失。しかし、火事の二ヶ月前に入った火災保険で再度工場を移して仕事を続けることができたそうです。・・・・・・・・・・祖父や父が生きた明治・大正・昭和初期・戦後・・・多分一等兵にしても、二等兵にしても「過去の時代の過去の人々」ということになるのでしょうが、今年当たり、父のライフヒストリーをまとめながら形にできればとおもいます。母方の祖母がなくなったとき、私は大学生だったのですが、彼女が話してくれた大正末から戦前の出来事、戦後の混乱のことなどを聞きながら、家族だとかいいながら全く祖母についてまったく知らない孫としての自分に違和感を感じたのを覚えています。近い人のはずなのに、すごく遠い人といった感じでじょうか。家族の絆を再発見とかいったことではなく、何もしらないのに知った気に勝手になっていた自分の足元の脆さが、一つのきっかけとなって、逆に家族とか親戚とか血のつながりとか、ましてや共同体や国家や民族など、すごくうさんくさい存在に思い始めたのもこの時期です。想像の共同体としての民族や国家ではありませんが、やはり家族も想像されている(何もしらないのに知っていると思い込めるという意味で)のかも知れません。そんなことを、箪笥の上に祀られるこの写真の先祖、親戚をみておもします。。
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by the-third-blog | 2006-02-08 15:15 | 家族点描