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一年前のソウルで・・・

昨年の二月から三月にかけて、二泊三日でソウルに行きました。留学した時にお世話になった方の奥さんがなくなられたこともあり、仕事で葬式にはいけなかったので時間のできた二月に行ったのです。今日は、その時のお話。ここに書いておかないと、多分永久に私の頭の中にあっていつか風化しそうだったので・・・ということと、前回の変わる町並みについて書いていて、「変わる町並み」というタイトルなら、近所のことよりソウル体験の方が良いかもと、ふとおもったのでした。

 亡くなられた奥さん(韓国ではサモ二ムといっていた)はまだ60ちょっと過ぎたばかりで、留学を終えたら東京案内を約束していて、その人の長男夫婦の新婚旅行や長女・次男が東京に来たときなどは案内したので、近いうちに是非といつも電話では話していました。でもそれが叶わぬ事になってしまった・・・せめてお悔やみにだけは行こうと。二月のソウルはまだ寒く、インチョンの方に新空港ができて、ソウルへのアクセスはちょっと不便になったような気がしましたが、空港から一時間ちょっとで、Pさんの自宅近くの最寄り駅に到着。

駅からは歩いて10分くらい。しかし案の定迷ってしまいました。前回訪れたのが3年前くらい。駅からPさんの家の方角の風景が大変身。こんもりとした丘の斜面に建てられた小さな家々は一掃されて15階建てのマンションが数棟建てられていました。一年こないと分からなくなると90年代にも言われていましたが、それは10年経ったいまでも言える事のようです。迷ってはいましたが、方向には自信があったので歩いていると、偶然にも知り合いに。そして、無事Pさん宅に到着。クリスチャンに限らず、仏壇のようなものを置く文化はなく、ただ遺影の前でチョルをして、香典を手渡し、しんみりと故人についての話になりました。その晩は、Pさんの息子二人・娘それぞれの家族が集まり、総勢15名くらいで食事に。半年前に遠い親戚がオープンしたというカルククス(あえて言えばうどん)の店での賑やかな食事に。亡くなられて三ヶ月が過ぎようとしていたこともあり、しんみりとした雰囲気ではなかったようです。ちなみに、故人は韓国では土葬するのが通常の埋葬ですが、門中の老人たちの話し合いで、火葬となったことを後で長女の人から知らされた。主として土地問題があるとのことだ。このケースでは、土葬から火葬への変化が突出した問題として話し合われたようなことはなかったそうだ。儒教云々という後説明がよくされるが、意外とドラステックに変わるのかも知れないと感じもした。

 食事を終えて、店から帰る道を歩きながら73歳になるPさんが話しかけてきました。「君が初めてこの道をあるいたのは、いつかね?」の質問に、 「1984年の8月で、まだ大学生でした」と私。ずいぶんと変わったかね?と問われ、躊躇することなく「はい」と答えた。「でも私が、子どものころからすれば、1984でも随分と変わったとおもうけど、最近の変わり方は山一つ変わるようだからね。もう変化の変化の連続で、変化を変化とおもえないよ」と。一日一日では感じられない変化だけど、一年で感じるようになったり、10年で、20年で、また違う変化の表情があるというこではなく、変化することが常態となり、前近代から近代、現代というような一直線上に変化を語る語り方への疑問なのかともおもった。

 ただ、翌日彼が通う教会の礼拝堂での話しの中では、「一日一日では見えてこないものがたくさんある。一日一日は取るに足らない退屈な時間の連続のように感じるときもある。でも、時の積み重ねの中で10年20年となると小さな歴史が見えてくる・・・・駅からこの教会への道のりも教会ができたときから比べれば別の世界の道のようですが、そんな大きな変化も感じないほどに一日にどっぷり浸かった生活をしていませんか・・・」と説教バージョンに変わっていた。

 日本でも韓国でも、このような変化をめぐる状況は変わりないとおもうのだが、この歴史とか文化という現象/世界の切り取り方というか、見方というのは、かなり多様であるはず。それがどこかでスーパージャンプ(飛躍して)一枚岩的な他者像にがんじがらめになるのはなぜなのか。ただいえるのは、歴史とは単なる日々の積み重ねではないという、中途半端な結論をソウルから戻ったときに感じていました。終わり
 

by the-third-blog | 2005-03-29 15:40 | DVD感想・ブログの旅