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韓国旅行  博物館編

 第三回の今日のテーマは博物館です。別に博物館マニアではないのですが、数年前に千野香織(?)という人の論文を読んでちょっと関心が生じたため、これまで行こうとおもっていながらも行けなかった博物館を四つと三年前に訪ねた戦争博物館についてごく簡単に紹介いたします。

 1.温陽民俗博物館

韓国旅行  博物館編_d0004574_18484576.jpg朝九時に旅館を出てとりあえずタクシーに乗りましたが、歩いても10分ほどの距離でした。タクシー嫌いの私ではありますが、荷物があったので仕方なく乗った次第です。こちらとしては、温陽の歴史と絡んだ展示物などを期待したのですが、展示物自体は他の博物館でもみられる一般的なものでありました。博物館自体何かどんよりとした雰囲気で朝から疲れてしまいました。案内のおじさんがとても親切な方で、バスターミナルまでの近道を教えてくれたので、おかげで温陽の町並みを楽しみながらターミナルに向かい、例のお粥食べてこの街ををでました。

韓国旅行  博物館編_d0004574_12541716.jpg韓国旅行  博物館編_d0004574_12545953.jpg韓国旅行  博物館編_d0004574_12553539.jpg


 2.独立記念館

韓国旅行  博物館編_d0004574_18492967.jpgソウルとプヨを何回も往復しながら、その経由地点である天安と公州のうち、公州は何回も行ったのですが、天安は知り合いの僧侶のお寺に立ち寄ったぐらいでバスの車窓から眺めるくらいの街でした。その町からバスに乗り換えて10分くらいにあるのが、独立記念館。1980年代におきた教科書問題(現在のものとは異なり当時は侵略と進出の書き換えが契機だったと記憶しています)に反応する形でつくられたと言われるこの巨大施設。展示物に関してはいろいろなところで書かれているので特に目新しいものはなかったのですが、むしろこちらが気になったのは、ナショナリズムを高揚する意図をもって作られるこの種の施設を、人々がどのように意味づけしているのかという点でした。つまり、どんな人がどのようなときに訪ねて、ここで見聞きした経験をどのように話しているのかという点です。私が韓国に滞在していた90年代の初頭頃の新聞に、この記念館についてのことが書かれていて、うろ覚えなのですが「歴史を忘れる、熱しやすくさめやすいわが民族」とのタイトルで、内容は独立記念館への来観客数が激減していて、定期バスも空き空き状態が続いているとのことでした。それから十年後、私にとっては初めて訪ねるところです。


韓国旅行  博物館編_d0004574_14432720.jpg夏休みも終わり、平日の火曜日ということもあって、人は少なかったものの、それでも小学生と中学生の団体やカップル、初老の夫婦などが目に付きました。多分、小学生(四年生くらい)は社会科見学の一環で着ていたようで、ノートをとりながら、時には引率の先生の説明をききながら回っていました。中学生ともなるとやはり展示パネルをじっくりと読む姿がちらほらとみられ、やはり拷問シーンの展示の前では真剣にくいいるように見ていました。ここでの経験がそのまま単純にナショナリスティックな韓国人を作るという単純な構図ではないにしても、学校の授業で再復習し、家庭でも語られることになるのでしょう。


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今回の博物館めぐりをした際に「独島/竹島はどちらのものですか」という類の質問を三人から受けましたが、秀吉の朝鮮出兵、植民地時代、そして竹島・独島問題というのは、彼らの中で一直線に結びついているような印象を受けました。ただ、一対一で話すと映像の中のそれとは異なる、対話的な反日といえそうな表情もあり、話せば分かるというものでは勿論ないものの、ちょっと安心しました。一つどうかとおもったのが、帰り際に幼稚園児がこの記念館を見学に来ていました。うちの二等兵(5才)より小さいぐらいの幼稚園児ですが、一体どのように説明するのだろうかと後ろ髪を引かれながら天安に戻りました。



 3.プヨ国立博物館
韓国旅行  博物館編_d0004574_1850092.jpg現在ある博物館は私が90年代に滞在中に建設されたものですが、93年開館のときと大きく変わったところはありませんでした。ご存知の通りプヨは百済の最後の都があったところで、日本史でも白村江(ハクスキノエ)の戦いなどででてくるところです。

韓国旅行  博物館編_d0004574_14231570.jpg古代史マニアではないにしても、そのようなところからこのプヨと日本の五箇所の地方都市が姉妹都市関係を結んでいるほどです。この博物館の大きなメッセージは「文化は韓半島から日本へ伝播した」というものです。仏教や文字、様々な技術は、「我々が彼らに伝えたのだ」ということが、いくつの展示に見受けられます。






 4.ナヌムの家 歴史館
韓国旅行  博物館編_d0004574_18503879.jpgナヌムの家とは、とりあえず「分かち合いの家」とでも訳せるのでしょうか。日本軍従軍慰安婦であったハルモニ(現在は八名)が暮らす場所に隣接する歴史館、一種の博物館でしょうがここで紹介した他の博物館と決定的に異なるのは展示物に関る直接の人物が同じ敷地に暮らしているということでしょうか。ある日本人研究者が博物館を二種類に分類し、「フォーラムとしての博物館」と「神殿としての博物館」に分けていたのを覚えているのですが、前者は対話的な未来志向・展示物の解説などは権威的なものではなく観客との対話が生まれるような博物館、後者は神殿のように拝みにいくような博物館で、勿論対話的ではなく展示物に関する権威的専門的な言説が支配する博物館の姿のことです。


韓国旅行  博物館編_d0004574_1447984.jpg今回の博物館めぐりで、フォーラムとしての博物館の片鱗をみたような気にもなりましたが、大規模な国立博物館とナヌムの家の歴史館のような小さな施設が、どのような関係で展開していくのか、ご高齢のハルモにたちがこの世を去ったあとに、どのような形で継承されていくのか、いろいろな意味で楽しみでありますが、またいつか訪れたいとおもいます。





 5.戦争博物館


 ソウルの南山付近にあった博物館で、やはりここも独立記念館までは大きくないものの、博物館としては大規模な部類にはいるもので、半島における戦争の歴史を語る施設であります。この博物館は、3年前の春に訪れたのですが、写真をどこに保存しているのか分かれてしまったので、みつけ次第写真はアップします。映画『ブラザーフッド』をみたときも、この博物館での知識はいろいろな場面で蘇ってきましたが、現実はもっと過酷で想像もおよばないものだったのでしょう。『シルミド』しかり、『四・三事件』や『光州事件』もそうですが、戦争というものが一応現在からみて「過去」となって距離感が感じられてはじめて、展示してそれを見る行為が可能かとおもうのですが、過去になっていないものが、無理やり収められているような気もいたしました。





  

by the-third-blog | 2006-09-18 06:08 | その他